北近畿Jazz Street

第1回「北近畿Jazz Street」
日時 : 平成30年4月29日(日祝)10時~21時

場所 : 市民交流プラザふくちやま3F(福知山市、福知山駅北口)
入場無料
駐車場有り(有料)


10:00~ ほんまジャズが好きやねんズ

11:00~ M's trio

12:00~ 但馬ジャズ・コミュニティ・ピックアップバンド

13:00~ 「もっとJAZZを楽しむ会」第6回コンサート
      ・小学生〜大人、Jazz Popsを演奏
      ・ゲスト演奏(足立安弘グループ)

15:00~ 京都府立大江高等学校ビッグ・インレット・ジャズバンド

16:00~ Solana

17:00~ 入江美香グループ

19:00~ セッション


司会 : 美市川鏡美


問い合わせ先 : 「北近畿Jazz Street事務局」
           北近畿Jazz Street実行委員 代表 美市川善久
           福知山市立原120
TEL 0773-33-0011 FAX 0773-45-3131
email / kitakinkijazz@gmail.com


講演

講演

IMG.jpg兵庫歴史研究会

兵庫歴史研究会

例会報告5月1日

兵庫歴史研究会活動報告.jpg
例会報告5月1日

楠正成公相続人

「直系美市川家の由来」

講師楠正成公相続人楠家直系二十七代当主

美市川五左衛門善久(記阪本信子)

会場には氏の演奏になるジャズピアノを伴奏に奥様鏡美さんのボーカルが流れ、楠公さんのお話だからと堅苦しくかまえていたのですが、いつもの例会と一寸違う雰囲気の会場でした。

氏は温和で控えめ、能弁と云うより訥弁で口ごもりながらスクリーン表示に添ってお話になり、吃音にはご苦労されたようですが、一生懸命話される

ご様子から誠実なお人柄がみてとれました。

正成公の5代前、屋敷に楠木があったところから「楠木」と名乗るようになり、一般にも「楠木」と認識されていますが、現在は「楠」一字が用いられており、その由来は楠正行の遺言に記されていたところに拠るそうです。

氏は京丹後市間人で高校まですごし、家は漁業、織物を業とされていた時期もありました。

楠公子孫と聞かされたのは、中学2年の時で、先代からでなく祖母からでした。

2001年フジテレビの「笑っていいとも!」―ご先祖様はスゴイ人―に出演されましたが、それまではご先祖様について余りご存じなかったということで、世間には楠公直系をなるべく知られたくないという家風が伺えます。

代々伝わる系図をはじめ古文書の類は殆どが水害によって失われたということで、私としては期待していたので残念至極でした。

五左衛門の呼称は16代吉次からで、21代吉隆まで使われていましたが、現在の当主善久氏はその心を継ぐという意味で五左衛門を名乗られています。

4代正董(まさとも)の時、家を守るために紋も変え、姓も市川とし、自らも綱盛と名を変えました。

市川の由来については明確ではないが、住んでいた河内国石川郡の石川と古市郡の古市が関わっていると思われる。

そして、琵琶湖湖畔の志那(現・滋賀県草津市)に移住し、以来500年余り、この地でひっそりと隠れ住まれ、現在に至っている。

志那の地名は『太平記』にも見られ、坂本の対岸に位置し、古来より港として陸路、海路の重要な拠点であった。

沼地がほとんどであった志那の地の550反のうち300反(約30㌶(東京ドーム6・4個分))を五左衛門が開拓したと言われ、そのほとんどを町民に分け与えたところからも、美市川家の「そこに私無し」という代々受け継がれた家風が思い偲ばれます。

12代吉康の時、領主井伊直孝は楠公直系が自領内に居住していることを将軍家光に奏上した所、「湊川にて戦死せし楠正成公の子孫なる事を記憶して忘れざらん為に、湊川の始めの音「み」と、抜群の美名を輝かしたる楠の本家たる事を忘れざらんが為にその美名の「美」とを兼ねて記憶せよ」と、市川の上に『美(み)』を賜わりました。

つまり「美市川」の姓は楠家の直系の証として、また正成公の志を受け継いでいきなさいという徳川三代将軍家光の意思でもあるのです。

以来、17代当主は林業で名を馳せ、20代当主は叙位を辞退、24代は明治の華族拝命も辞退、また20代の時は放火されたり、24代の時の琵琶湖大水害では貴重な品々が失われるなど、有為転変の歴史をたどりながら、常に私欲も我もなく和を願い、ひたすら世の為人の為に真を尽くした楠公の精神、志を受け継ぎ、「天地和合」「恒久平和」の世を願ってこられました。

当主善久氏は「貴方のような生き方をしたい」と云われるような人になりたいと精進されています。

現在福知山で古民家をそのまま生かし、音楽館・楠堂を経営されています。

ここを拠点に、当主善久氏のピアノと奥様の鏡美さんのボーカルで、ご夫婦二人三脚の音楽活動中です。

毎月第3土曜日の午後2時から定期のライブ・イベントが開かれています。

楠公末裔27世のピアノを楽しまれるのも、また佳きかなです。

未定

未定

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七代目五左衛門襲名

2012年12月8日に七代目五左衛門を襲名させていただきました。
美市川家は代々24代目までミドルネームがあります。
その中でも16代目~21代目まで六代と最も長く続いたミドルネームを付けさせていただきました。
その理由は、楠木正成公から列祖相承している『王政復古』『天下泰平』の基礎を固めん事に16代目~21代目の五左衛門の時代も邁進いたしました。
私も歴代当主の想いを継いで七代目五左衛門を襲名いたしました。
そして楠正成公相続人楠家直系27代当主として『天下泰平』『恒久平和』を成就するために邁進する所存であります。

美市川 五左衛門 善久

MALTA氏

MALTA氏

MALTA SAX.jpg世界的ジャズプレイヤーのMALTA氏を京都府福知山市に迎え
平成24年10月12日に音楽館楠堂主催のMALTAカクテルライブ2012を開催させていただきました。


MALTA

MALTA マルタ サクソフォンプレーヤー

鳥取県倉吉市出身。13歳からサックスを吹き始め、66年より故阪口新氏に師事。

73年に東京芸術大学音楽学部器楽科卒業後、バークリー音楽大学に留学。4年の過程を2年半で習得し、1年半同校で教鞭をとる。77年にボストンからニューヨークに進出。デューク・エリントン楽団(マーサー・エリントン指揮)、チャールズ・ミンガス、ジャック・マクダフ等の一流ミュージシャンと共演後、79年に名門ライオネル・ハンプトン楽団に迎えられ、同バンドのコンサートマスターに就任。

83年、デビューアルバム「MALTA」を発表。87年にはアルバム「SPARKLING」で第一回日本ゴールド・ディスク大賞に輝く。88年発売の「HIGH PRESSURE」は、全米発売にもなった大ヒットアルバム。90年、B.B.KINGと共演したアルバム「B.B.KING&SONS,LIVE」が発売。96年、ロンドンのヒップホップグループ「インコグニート」を率いたアルバム「UKUNDERGROUND」はヨーロッパ先行発売となる。98年、元タワーオブパワーのグレッグ・アダムスを迎えたアルバム「Apasionado」を発売するなど、海外ミュージシャンとの親交も多い。

99年、中国「北京国際音楽祭」に招待、自身のバンド「MALTA HIT&RUN」で2日間公演を行う。2003年に日本デビュー20周年を迎え、記念アルバム「HALF MOON STREET」を発表。

2004年、初のJAZZアルバム「MANHATTAN IN BLUE」(Swing Journal選定【ゴールド・ディスク】)を発売。

2007年「響け!みんなの吹奏楽」(NHK-BS)、“オーサカキング”(毎日放送)でのビッグバンド「スウィングレディース」の結成など、全国各地の吹奏楽指導の模様が放映。2008年、初の吹奏楽との共演アルバム「BRASS/MALTA with Siena Wind Orchestra」を発売。

2010年9月、上海万博に招待。アジア日本館ジャパンウィークフィナーレイベントでコンサートを行う。

LIVEアルバム「DROPFLAME~My Hit Songs~」「MY STARDUST~Jazz Standard~」を2枚同時発売、

ショパン生誕200年記念アルバム「MALTA de Chopin」を発売、

角淳一氏との共同プロデュースアルバム「すみコレクション~ボクの好きなMALTA」と年間4枚のアルバムを発売。

2011年1月 国内トッププレーヤーが集結した「MALTA JAZZ BIG BAND」を結成、

COTTON CLUB(東京)にて結成記念ライヴを行う。

「LIVE IN JAPAN/Jazz UP,Back UP,Dress UP,」を発売。

7月、通算39枚目のアルバム「MALTA Jazz Big Band ~Live in Tokyo~」が世界発売。

雑誌への連載、自叙伝、教則本の出版のほか、文化教育面にも力を注ぎ、「全日本高等学校選抜吹奏楽大会」で審査員をつとめ“MALTA賞”が設立。全国のアマチュア吹奏楽団・ビッグバンドとも共演、

また、毎年開催される「Fete de la Musique au Japon 音楽の祭日」にて東京では名誉顧問・大阪では特別顧問。

2007年 より大阪芸術大学芸術学部音楽学科ポピュラー音楽コースの教壇に立つ。

後輩の育成、プロ・アマ問わない音楽発展に尽力するなど精力的な幅広い活動を繰り広げ、そのサックス・プレイには観衆のみならず、一緒に演奏した人たちの心に多くの夢と感動を与え続けている。

ホームページ   LinkIconhttp://malta-jazzclub.com/


何か身近でできること

院内演奏

010.JPG何か身近で出来ることをとの想いで始めさせていただきました。
平成22年9月より毎週金曜日12:30~13:30、福知山市民病院1F喫茶スペースにて演奏させていただいております。

平成25年6月よりしばらくお休みさせていただきます。





川口 貴生氏

川口貴生氏を応援しています

人形作家 川口 貴生氏



川北 浩之氏

川北浩之氏を応援しています

詩人 川北 浩之氏
005.JPG詩集『六畳半の宇宙』を出版されています。LinkIcon川北浩之





嵯峨根 一史氏

嵯峨根一史氏を応援しています


嵯峨根 一史氏
sagane1.jpg嵯峨根一史に京都府立共栄学園の教師生活5年間を振り返り語っていただきました。
自分は高校時代に吹奏楽部がなかったため生徒には経験させてやりたいとの想いで吹奏楽部顧問として始めました。吹奏楽はチームプレーであるゆえにこの学園は中1~高3までいるので、共に一つになろうと努力していくことや社会へ出ても通用する基を築いて育てたい。吹奏楽部の子達は皆すばらしい子です。登校する時にゴミを拾う、職員室に入る時は「失礼します」と声をかけてから入ります。楽器など使わせていただくとともに何に対しても感謝の気持ちを忘れないよう心がけています。食前感謝の言葉、食後感謝の言葉を言うことにより食事をさせていただけることにも感謝。これらを素直に実践しています。



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顧問がいないときはコンクールは今まで出場したことはなく、定期演奏会もしたことがありませんでした。そこで嵯峨根氏はいい成績を取るためにではなく、目標を持つ大切さと皆が一つになっていくプロセスを大事にしたいとの想いでコンクール出場や定期演奏会を行うことを決め実行しました。
一年目は銅賞を受賞。二年目は銀賞を受賞し嬉しかったコンクール。三年目は銀賞を受賞したが悔しいコンクール。その後に、物が無くなったりいろいろな事件がありました。部活に対する気持ちを整理するために一旦休部にしました。ある日、「部活を続けたい子供達は帰って来てほしい」との問い掛けに全員が帰ってきました。直後に文化祭での演奏があり曲の練習はほとんど出来ていませんでしたが曲の中に違うものを感じたと嵯峨根氏。その部員の気持ちを一つに四年目のコンクールを出場し金賞を受賞。しかし翌日に部員の立山くんの事故。電話で知らせを受けた。命の保障ができない状態で数日が峠で危篤状態。部員全員で千羽鶴を折り寄せ書きをした色紙、みんなの想い一つにお盆が終わったあとの関西大会に出場。顧問も部員全員、立山くんの写真をポケットに入れて演奏しました。銅賞を受賞。本来のメンバーでしたかったと悔し涙いっぱいでした。

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それから一年半ぶり2012年3月20日のコンサートの最後の曲で、立山くんも一緒に全員で演奏しました。関西大会の演奏ができたという感じでしたと嵯峨根氏。吹奏楽の子供達は素直で礼儀も善いです。技術的には中学生もいるので演奏は劣りますが、心に響くものがある。清らかな想い、心美しく、音の中に澄んだものがある。それはゴミを拾ったり礼儀正しく行うこれ全て人様に対する愛の表れであると思います。私は転勤するため生徒と共に過ごすのも3月24日が最後です。ゴミを拾う、挨拶ができる、仲間を大切にしてほしい。必ず音にも表れるし社会に出ても大切なこと。僕がいなくても大切にしてほしい。



嵯峨根一史氏が生徒に指導した一つに下記があります。
『ゴミ拾い』 
 自分が出したゴミでなくても拾う

『挨拶』 
 自分から明るく元気よく声を掛ける。

『食前感謝の言葉』 
 食事前に「天地一切のお恵みと これらを作られた人々のご苦労を感謝して 戴きます。」と唱和。

『食後感謝の言葉』 
 食事後に「恵みの食事を終え 新たに生命に息吹と力を戴きました。御馳走様でした。」と唱和。

『吹奏楽十項目』
1. 礼儀を正す。
2. 明るく常に前向きである。
3. すべてにおいて感謝できる。
4. 素直である。
5. 人を立てることができる。
6. 譲り合うことができる。
7. 身も心も清潔である。
8. 整理整頓を怠らない。
9. 時間と物を大切にする。
10. 落ち着いて着実に物事を行うことができる。


これを嵯峨根氏は着任した日から五年間毎日実践しています。
教育者として、次期文明の若者を育てることを柱としています。音楽には人を救う力がある。自己愛ではなく、「利他愛」に満ち、人を救える子供達になってほしい。霊文明人になっていただきたい。
私は九州にいる頃はプレイヤーを目指していたので教師になるつもりはありませんでした。でもある方に教師になることを勧められこのミチに入りました。今はこうして生徒の前にいる。生徒が好きです。好きな生徒と一緒にいる自分が好きです。

3月20日のコンサート、今日の演奏が最後、生徒達と過ごすのも僅か、コンサート終了後の学校で嵯峨根氏は生徒に別れを告げる。人前で泣いたことは無い彼は生徒と号泣。二時間泣きましたと彼は言った。絆。楽しいこと、辛いことを共有して来た家族であり、生徒と教師以上の間である。

五年前この学校に来てコンクールに出ることを進めるが進学校ゆえに反対にあう。失敗をしても学ぶことが大きく限界を決めずに挑戦して行きました。勉強も大事、部活も大事。難しいけど挑戦したい、両方大事にしたい。私は何も考えずに突っ走るタイプです。コンクール前に台風で休校中にもかかわらず学校内で練習をしたり、台風の中夜遅くまでプログラム作りをしていました。と懐かしく語ってくれました。「今日で生徒と終わりでしたが、あれから(21日~)生徒が私にお弁当を作ってくれて」と嬉しそうでした。平成24年3月24日(土)

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くすのきふれあいコンサート.jpg